

その昔、岩槻城下の繁栄を極めたる当時、江戸城の忌門寺として有名な華林山慈恩寺や、日光廟に往来した諸人は、 日光街道を曲げて現在の元荒川沿いを下って岩槻城外の第六天神社に奉拝したという記録が残されています。
また、戦国の世に、岩槻城主太田氏の将兵の信仰を得て、岩槻城下に暮らしをたてていた武士や町人や商人、 農村の人々が、この草深い祠に奉拝して霊宝を賜ったといわれています。
武蔵第六天神社は神系七代、即ち天神六代なる『面足尊(おもたるのみこと)』と『吾屋惶根尊(あやかしこねのみこと)』 の二柱を主神となります。
「面足」の御名から「足」の神様とする信仰があり、足病消除の御利益があると信じられています。更に「足」との関わりから、近年は交通安全の神としても尊ばれています。この神は神代七代の第六番目に当たるため、仏教・修験道で信奉した第六天に擬せられ、「第六天魔王」として修験者により信仰が広められました。
相殿としては、経津主命(ふつぬしのみこと)・別雷神(わけいかづちのみこと)・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)・ 熊野久須美命(くまのくすみのみこと)・家津御子命(けつみこのみこと)・速玉男命(はやたまおのみこと)の六柱神々を奉斎しています。


武蔵国第六天の一として、古来より火難除け・盗賊除け・疫病を除去し、以て家内安全、五穀豊穣、商売繁盛の霊験著しい事は普く人の知るところであります。
古来より、江戸界隈の人たちや武蔵国の諸処から、崇敬者が加わり、今日では県内を始め、千葉県・茨城県・栃木県・群馬県・東京都の関東各地より講中を結成し、 毎年3月より5月にかけて、大神の御加 護を賜りて、自家の安泰と吾人永遠の幸福を祈り奉らんと、御眷属・授与品である天狗の神額を受ける参拝者でにぎわい、一陽来福を祈る個人参拝者は全国より四季絶えることなく綿々と続き、 これ偏に広大無辺、神徳無量なる御神徳と御威光の賜と存じております。
当社がもっとも栄えたのは、光格天皇・仁光天皇の御代の頃、即ち文化・文政年間の頃で、現在の水舎にあるある水盤は、その当時に江戸講中より寄進され、 社殿前の階段は文化年間に着工(平成9年に改築)しました。 又、現在飾り御輿として御輿殿に保存されている大御輿は天保9年戌歳4月に制作されたもので、当時の繁栄の様子が伺い知れます。
尚、当社の創建は第119代光格天皇の御代、天明2年6月15日の御鎮祭と伝えられており、 明治40年6月28日、村社香取神社・無格社鳴雷神社・無格社厳島神社・無格社熊野神社を合祀し、 現在に至っております。


現在社殿の中に大切に保存されております御神木は、大天狗・烏天狗が宿り、奉拝者に御神徳を授けたと称され、今日も尚、災厄除去・無病息災のために御神木に触れることを唯一の念願として奉拝する崇敬者で賑わっております。
御神木を両手でさすり、心願を籠めた後、身体の悪いところをさすれば、病が治ると古来から信仰されております。
御眷属(天狗絵馬)


天狗様は、第六天神社の御使役として、諸々の心願を叶える仲立ちをされています。
古来より当社に伝わる向かい天狗の絵馬は、火難・盗難・疫病を除き、邪気を祓い、以って家内安全・商売繁昌・五穀豊穣等に霊験著しい護符であります。お受けになりましたら、下記の如くお飾り願います。
一、御眷属(天狗絵馬)は、玄関・門戸の入口にお飾り戴く事により外からの邪気、諸々の禍事、疫病を塞ぐと共に、盗賊・火難を除けると言われております。
お店・会社等の場合は人の出入口等にお飾りください。
※畑等にお飾り戴く場合は青竹に挟むか又は紐等で結んでお飾りください。
一、諸願成就の御神礼は、玄関入って内側(お店・会社にあっては人の出入する場所の内側)にお飾り願う事により家内を護り、諸々の心願を成就され以って家内安全に霊験ある神礼です。
耳病平癒・頭痛平癒


当社には古来より、耳病・頭痛等の病に霊験著しい護符として、 神錐(きり)が伝えられております。
毎朝・毎夕、第六天神の御名を唱えながら、耳(または悪い所) を突く真似事を3回繰り返し行います。 そして、平癒の暁には、神錐を2本にして納めて戴くものです。